はじめに
人類が農耕を始めたのは、およそ一万年前というのが通説らしい。一万年もの間人類は、「これは旨い」だの「これはいっぱい採れる」だの、自分たちの勝手な都合でいろいろな穀物や野菜を批評し続けてきたことだろう。野菜の種を蒔くとき、人間はその出来上がりの姿を想像し、ささやかな幸せを感じることができるが、野菜たちにとってみれば、まさか自分を食べるために人間が種を蒔いてくれたなどとは思いもしないことだ。野菜たちが一生懸命根を張り、葉っぱを広げて大きく育とうとするのは、より多くの子孫を残そうとガンバっているからで、決して人間に食べてもらうためではないのである。
自然の育み
ニンジンやホウレンソウなど、多くの野菜が晩秋から冬にかけて旬となる。これらの野菜は、秋が深まるにつれて栄養分を根や葉にセッセと蓄え、グングンと大きくなる。そんなわけで、この時期のニンジンやホウレンソウは、栄養価が高く味も乗ってくるのだ。しかし、野菜たちは人間の舌を満足させるためにおいしくなるわけではない。まもなく訪れる春に、たくさんの子孫を残せるよう、自分の体をシッカリ作り上げてきた結果なのである。人間の世界と同じく植物の世界でも子供を生み育てるのは、大変なエネルギーを必要とするのだ。
食べ物の大切さ
次の世代を育めるほどに成熟した野菜たちは、春がくれば花を咲かせ受粉をし、種を残す。花咲く季節は、恋の季節であり、文字通り華やかな春の畑は、野菜たちの婚カツ会場と化すのである。冬のニンジンやホウレンソウは、そんな恋を夢見ながらジッと春を待っているのだ。ところが、夢見心地の彼らを突然の悲劇が襲う。根こそぎ引き抜かれ、たった一度しかない恋を経験することもなく食べられてしまうのだ。彼らを食べるという行為は実に残酷で、ほとんど殺生と言っても過言ではないのである。
だからこそ、私たちは自然の恵みに感謝し無ければなりません。作り手のキモチや自然の恵みだけでなく、がんばって成長した野菜自身の気持ちも含めて私たちは生きていることを考えることが、食育では無いでしょうか。