おむすびコラム

バスの町!鷹のまち?

ここ地元・井高野は古くからの住宅街で、大阪市営住宅が多いエリアです。今里筋線ができる前は交通機関が市バスしかなく、市街へ出るのに不便なエリアでした。そのためか、他の大阪市外縁エリアと比べ、老齢人口が多く感じる地域です。その市バスの車庫は有名で、趣味の人たちが時折訪れては、居並ぶ市バスの壮観な姿を写真に収めていました。

井高野の地名は、江戸時代(寛永年間:1624?1644年)の地図に「居鷹村」の表記があり恐らく関係していると思われます(詳しく調査できてませんが…)。  
その『居鷹』ですが由来としては年代が異なるのですが、古来、渡来人が河内エリアには多く移り住んでおり、その際に日本に鷹狩を持ち込んだと言われております。奈良・平安の時代には、朝廷・貴族の人々が鷹狩をしに河内の方まで遊びに来ていたという記録もあります。
平野区の界隈では渡来人の鷹匠が村を成していた、という文献もあるそうですから、その一派が、井高野界隈にいたのかも知れません(勝手な想像ですが…)。  
このように歴史的なところでは、文献や地図等に集落や村落を示すものもあります。しかし残念ながら、現在では近隣に名残を感じるものは見当たりません。唯一、奈良・平安の時代に朝廷に牛乳を献上していた牧場跡「味原牧(乳牛牧)」の石碑が、大桐5丁目にあります(神崎川を越えた一駅南のエリアですが…)。  

今里筋線が開通以来、少しは交通の便も良くなり、近頃は少しずつ開発が進んでいる感じです。新しい住宅街なども出来てきて、この町もまた若返るのかも知れません。ただ、これからも市バスを写す人たちの姿は相変わらず、という平穏な町であって欲しいと思っています。


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